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教養としてのプログラミング

うーん。
ものすごく基本的なプログラミングのお話。まずは、コンピュータを使わずに、プログラミングというのはどういうものかというお話から。
なるほど、こんな切り口があるのかという感じです。

まあ、役に立つかというと微妙です。
ようするに、段取りについて考えろということですね。

段取りの段階を全部スモールステップにして切り出すというのは、大事なんだけれど、なかなか難しいですよねぇ。
でも、そのスモールステップを切り出せるかどうかで、人にものを教えたりするときの効率は明らかに変わってきます。

ただ、それを明文化してしまうと、弊害もあるのもたしか。
1回プログラムが書かかれてしまえば、その部分、部分というのは、交換可能な部品でしかなくなってしまう。

まあ、それは、部品にとっては多分、大変都合が悪い様な気がします。
多分、他人を部品みたいに利用することに抵抗はなくても、自分が部品として扱われることには抵抗があるだろうしね。

頭脳の方は、動きやすい手足があれぱいいので、その手足がどんな部品からできているかは、あんまり気にしないのかもしれないけれど。

でも、プログラムすることすら、プログラムできちゃう未来がくるのかもしれない。
そうすると、頭脳すら、すげ替え可能な部品なのかもしれない。

いや、IT関連の企業の激しい移り変わりを見ると、実はもうそういうことは起こっているのかも。