ファウンデーションと混沌 上 新・銀河帝国興亡史2
ひさしぶりに、まともな本の感想ですね。
でも、下巻の感想は、いつになるかわからないという……。
あぁ、1巻のベンフォードよりも、グレッグ・ベアのロボットたちの方が、わたしにとっては、アシモフのロボットに近いです。
特にこの時代のドースの話を聞けるというのは、ちょっと感涙ものです。
ただ、まだ正体を現さないキャルウィン派ですが、彼らもまた、ダニールがいじったロボットたちということなんでしょうか?
再読です。
こうやって、時間をおいてから読むと以前は理解できなかったことがよく見えてきます。
たとえば、この話がかなり細部まで作りこまれたうえでかかれたものだということは、もちろん以前も感じていたのだろうけど、こうして物語を知ったうえで読むと「ここまで考えられていたのか」というところがたくさんあります。
たとえば、鷹野の感じているトウコを威神に連れて行かれてしまう不安や、トウコの感じているもう一人の自分に対する不安などは、最初に読んだときは、1人の人間のなかにある二面性みたいなものを示すために出てきているのかなぁと思ったりしていました。
でも、実際に読み進めていくにつれて、実は、それが形をもったものであるということがわかっていきます。
また、桂の弟の話とかも、以前は、出てきたときにはすっかりその伏線を忘れていて(笑)、
「なんで、こいつが桂の弟なんだろう……」
とか思ってましたが、ちゃんと、こんなにも前にフリがあったのですね(笑)
以前は、ファンタジーとして読んでいたのですが、今回こうして改めて読んで見ると、これもまた「百億の昼と千億の夜」みたいな壮大なSFなんだなぁということがよくわかります。
すべてが、あのラストに向かって収束していくようすが、とってもよく見えます。
人間と一緒に、ロボットが、お猿の脳へ精神接触しているのですが、ロボットにそれは可能なのだろうか?
いや、ベンフォードが、彼女を人間として扱いたかったのだなぁというのはわかる。でも、心は人間でも、ボディは鋼鉄で、頭脳は陽電子頭脳なのだと思っていたので、この解釈の仕方は、ちょっと違和感があります。
まあでも、そういった、「きっとアシモフなら……」という部分を気にしなければ、とても楽しい小説です。
残りの2人が、あとをどう引き継ぐのか、けっこうドキドキします。
アシモフの「ファウンデーション・シリーズ」を読めるのですよ。もう1回。
しかも、ロボットたちが大活躍。
でも、やっぱり、ベンフォードは、アシモフではなかったのであります。
まあ、当然ですが。
うーむ。
多分、第零法則というのは、もっと微妙で、もっとロボットの機能そのものにプレッシャーを与えてしまうものであるような気がします。
それがあるから、ロボットはある程度安心するのですが、使う段になるときっと、もっとためらってしまうもののはず。
でなければ、ただ単に権力者がロボットに変わっただけです。
なんというか、アシモフのロボットたちは、もっと優しいのですよ。
ちょっと、リンダは、ほめられていますが、なんかわたし的には、計算高くなったなぁという感じがしなくもない。