ボクを包む月の光8 ぼく地球 次世代編
「帽子の記憶」が終わって、「カチコの事情」に入ります。
でも、この「帽子の記憶」で、なんか、本当に「ぼくの地球を守って」が終了したという感じがするお話でした。
そして、第2世代の子どもたちも、ここから、今までのお話から自由になって、自分のお話を紡いでいくのかも。
サイコメトリーは、今の意識とコミュニケーションがとれるわけではなくて、あくまで、ある時間の強い思いを読み取ってしまうもの。
これは、確かにそうなんだけれども、それをここまでしっかりとかいた物語って、けっこうなかったかも。と思ったけれど、「ぼくの地球を守って」も、確かに、そういうかかれ方をしていたのかも。
今回の様に、いろいろ解説してくれる大人がいなかったけど、そうすると、確かに、紫苑と輪の関係とかは、すごく鮮明に見えてきます。
なんか、はじめて、「ぼく地球」を理解した気が……というより、今まで理解できていないのが判明した感じです。
まぁでも、輪は働けよという感じですね。ありすは、母親じゃねぇんだから。
ちょっとこのところ続編についての考え方が変わってきています。
以前は、続編って蛇足みたいなもんだなぁと思ったりしていたのですが、最近は、そうでもない。
あまりにも前の作品への思い入れが強すぎて楽しめていなかっただけで、もしかすると、この作品はこれはこれでおもしろいのかもしれない……とか思えるようになってきました。
「ぼくの地球を守って」と「ボクを包む月の光」は、やっぱり、切り離して考えられて、そして、「ぼく地球」の話がちょっと出てきたら、「あぁ、懐かしいなラッキー」ぐらいの気持ちになってきました。
第一世代の偉大さに比べると、次世代は小粒だ……っていうのは、いろいろな物語で感じることなんだけれど、次世代は次世代として見ていくと、そこには違ったおもしろさがあるのがわかってきました。
あのとき、輪がありすのことをどんな気持ちで見ていたのかよりも、このマンガの中で大切なのは、今、蓮がそのことを知ってどう思うかなんですよねぇ。
年をとったということかもしれませんが。
物語の全貌が見えていないので、まだ、内容的なことはなんともいえない。
でも、日渡早紀は、「アクマくん」シリーズのときは、すごくバッチリ決まった(定型的な)感情のキャラクターしか登場しなかったのに(それが、おもしろさをそこなっているわけではないけれど)、「ぼくの地球を守って」から後は、すごく繊細な感情を描くようになりました。
あと、夢のようにカワイイ女の子を言葉だけでなく、本当に絵で表現できているのは、すごいです。
涙花ちゃん、カワイイです。
でも、自分の娘の名前に「涙」っていう字をあてちゃう親って……。